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沿革history

富士市スポーツ協会沿革

吉原市体育協会
・発足まで
吉原体育協会の前身は、終戦の昭和20年10月まだ吉原町であったころ、この面の有識者、坂野碵太郎をはじめ、当時の学務厚生課長芝田武を中心に、砲丸投げの山崎光男や相撲の田中稔、サッカーの望月宗一、卓球の鈴木邦衛等が発足人となって、祖国日本再建をスポーツに求めようとの同志により結成した「岳南スポーツクラブ」という純粋な民間スポーツ団体であった。当時は戦後間もない頃で、こうした民間スポーツ団体も色々な物資の配給対象として、町の公認を得るための団体結成を早急にしなければ不利を招くことが明らかになった。そこで昭和21年に入るや数回の結成準備委員会を開催し、同年4月、初代会長に町長望月恵作、副会長に助役中井芳太郎、事務局長に学務厚生課長芝田武、専務理事鈴木邦衛が就任、事務局を学務厚生課に置き、部を11設けてここに町政に結びついた吉原町体育協会が、町民の体育振興を図るための大きな組織体としてのアマチュァスポーツ団体として発足したのである。
昭和23年4月吉原市の誕生で会則も新たにして、10月吉原市体育協会が発足、会長に坂野碵太郎が就任した。


富士市体育協会
・体協の設立
昭和29年3月31日に町村合併促進法により、富士町、田子浦村、岩松村が合併して新興富士市が誕生した。合併以前に於ける体育協会は、各々町村毎に独立していたために、運営上における経費は相当困難を伴った。従って富士町体育協会(昭和13年4月1日発足)を除いては、あまり活発な活動はみられなかった。合併を契機として市民がスポーツを楽しみ、明るく健康な親和強調の精神を高揚すると共に、体位の向上と健全な精神を育成し、特に家庭体育の振興を図る目的のもとに、川口清俊・塚本太三郎らを中心にして、昭和29年5月1日富士市体育協会が設立された。初代会長に青木貞治が就任した。 


鷹岡町体育協会
・体協設立
鷹岡町体育協会は、昭和31年12月15日に、設立総会を鷹岡町役場会議室で開いて設立した。その組織は町の三役・町会議員・婦人会・青年団・会社等、各層の代表で組織されていた。初代の体育協会長に篠原博、副会長に石川軍冶が就任した。


富士市体育協会の誕生
・発足
昭和41年11月1日に新富士市が誕生した。それと前後して2市1町の体育協会も発展解消して新しい富士市体育協会をつくるために、各協会の代表者や各部の代表者たちによって、結成委員会がしばしば持たれた。
新役員の選出もできて、昭和42年10月19日に吉原市民会館第1集会室で結成総会を開いて、全ての議案が承認され、ここに現在の「富士市体育協会」の発足となったのであった。

・協会名称変更
令和2年5月 富士市体育協会より富士市スポーツ協会へ名称変更



富士市スポーツ協会

〒417-8601
富士市永田町1-100

TEL 0545-53-6045
Fax 0545-57-0177
Eメール fuji-taikyo@ex.city.fuji.shizuoka.jp

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